リーガルハイ第8話をみて〜地域活性化への介入の限界

リーガルハイは毎週楽しみに見ていて、こないだついに終わってしまってさびしいのだけど、先月11月放送の「リーガルハイ」第8話は考えさせられた。

http://www.fujitv.co.jp/legal-high/story/story_08.html

だいたいストーリーは、奥蟹頭村の「おざおざの森」を世界財産登録を維持するため「自然と調和した暮らし」を守ろうとする側と、古来の生活様式を放棄し、便利で贅沢な都会の生活を楽しもうとする世界財産反対派の争い。訴訟自体は、派手なネオンなどを禁止する村の自主ルールに反し、派手な装飾でスナックを経営する村人(古美門が代理人)に対し、別の村人がその経営の差し止めを請求する(羽生らNEXUSが代理人)というようなもの。「おざおざの森」の世界遺産登録は、森だけでは登録が難しかったために、国の役人から提案された「自然と調和した生活」を目玉に、登録を勝ち取ったというような経緯があるという設定です。
ネタバレになりますが(もうドラマも終わったしいいか)、裁判官(広末涼子の別府裁判官)の提案で、賛成派と反対派で住民投票が行われ、なんだかんだの結果、世界財産反対派が勝利することに。
怒るNEXUSの羽生弁護士。
「こんなこと馬鹿げてる!世界財産の登録抹消なんて周りから笑いものにされるぞ!」
そんな羽生を尻目に、別府裁判官・古美門弁護士は「世界のだれに笑われても、ここはあなたたちの暮らす村だ。あなたたちでその行方を決めればいい。」と村人に告げて終わります。

何を考えさせられたかというと、どこまで「外部の者」が「地方」に対して、「ここに住んでいるみんなは気づいていないかもしれないけれど、この地域はすごく価値があるんだ!!どこでもできる都会化なんかじゃなくて、この地域にしかないものを守っていくべきだ!」みたいな介入が許されるのかということ。
まちおこし」みたいなことは外部の人間だからこそわかる魅力を発掘することで成功するようなところがあると思うけれど、究極としては、やはりその「地域」はその地域の人たちのもの、ということになるんだろうか。「日本の良さは日本人みんなのもの」といって、都会の人間が地域の人間の反対を押し切って自然保護のための規制をすることはやっぱりできないんだろう。
当事者の意思に反するパターナリスティックな規制として思いつくのは、害の大きな薬物の使用規制とかそういうレベルのもの。たぶん「自然保護」がこのレベルに達するものでなければ、あとは地域の自治の「自己責任」ということでやむをえないのだと思うし、そのレベルではないという結論としては、このドラマの結論と同意見。
地域活性化はよいことだとあまり条件なく考えていたけれど、外部の人間が介入できる限界を意識して行うべきだと思いました。