霧島神宮〜黒酢〜桜島〜知覧〜知覧特攻平和会館〜指宿

1 雨の中の霧島神宮


この日は霧島神宮の観光からスタートです。雨のかんじがまた素敵です。
社格(明治の社格制。GHQにより廃止。)上の「官幣大社」、すなわち官幣社の中で最も格式が高い62社のうちの一つだそうです。

10時ころ

2 坂元醸造黒酢見学(福山)


黒酢のつぼがならべられています!!!


情報館でいろいろ説明してもらいました。
黒酢の材料は、たった3つ。
壺の一番下に米麹をしき、その上に蒸し米、そして地下水、最後に「振り麹」といって米麹を地下水に浮くように覆って(普通沈んでしまう米麹を浮かせるように置くのは職人の技だそう)、ふたを閉めます。壺の中の微生物の作用などで(詳細は分かっていないとのこと)、糖化・アルコール発酵・酢酸発酵が進行し、1年ほどで若い黒酢、3年ほどで熟成した黒酢が出来上がります。この間、発酵具合を職人が1つ1つの壺のふたをあけ、音を聞き、見回ります。発酵中はボコボコボコという音がするそうで、驚きました(NHK−BSの「音のある風景」という番組に、この黒酢づくりを取り上げたVTRがあります)。
職人が若手の職人育成のために、発酵の進んでいる黒酢の壺には目印に小石を置いていくそうです。昔は夜も交替でずっと見守りをしていなくてはならなかったそうですが、現在は赤外線だか何だかで、警備会社と契約してセンサーで不審者等から黒酢の壺を守っているそう。
戦中は黒酢をつくるための米が不足して、福山の中でも黒酢作りをやめてしまい、壺の微生物が死んでしまったたところもあったそうですが、ここの醸造では、微生物が死なないように芋をかわりに使ったりして続けていた甲斐があり、戦後もかわらない黒酢作りができたそう。
今までおいしく飲んでた黒酢、こんなふうにできてたなんて全然知らなかった。


黒酢レストランで、レモン黒酢をいただきました。おいしー。
黒酢ソフトクリーム小(200円)も売店でいただきました。黒酢ヨーグルトのソフトクリーム版ってかんじ。日ごろからここの黒酢りんご酢を愛飲しているので、この日も売店で自宅用などにいただきました。

12時すぎころ

3 桜島

南から車で桜島に入りました。有村溶岩展望所へ。


退避壕がある。

岩のごつごつした遊歩道を歩きました。
桜島が眺められる展望台に。

もくもくした桜島

なぜか岩に1円玉がたくさん置かれている。


桜島をぐるーっと車で走り(以前行った、白い浴衣を来て湯浴みする混浴露天風呂のある「ふるさと観光ホテル」なども通りました。そのときは10数人で行ったのですがこの温泉もとてもよかったです。)、フェリーで鹿児島市内へ。
フェリーは15分に1本、乗船時間も15分ほどです。

4 知覧へ


通りすがりに裁判所の知覧支部

5 知覧特攻平和会館

太平洋戦争末期の沖縄戦で、特攻作戦により飛行機に一人ずつ乗って敵艦に体当たりして攻撃をした陸軍隊員の遺品や関係資料を展示しているところです。
知覧基地が特攻隊の出撃基地だったそうです。特攻というだけありもちろん出発したら100%生きて帰れない。見る限りほとんどは20歳前後の若い男子兵。それぞれの兵士の最後の手紙では、万歳というようなことや家族へのメッセージなど。母に宛てた手紙が多い。何度も涙しました。
特に、継母に宛てた手紙(「今までお母さんと呼べなかったけど最後に呼ばせてください、お母さん、お母さん、お母さん」というもの)と、幼い子に宛てた手紙(全てカタカナで、肩車できなくてごめんとか、そういうことが書いてある)が泣けました。。
広い館内、歩いても歩いても、特攻隊員の顔写真と遺書や関連資料が並ぶ…。パソコン端末がいくつか置かれ、特攻隊員の名前から、遺書や関連資料が検索できるようにもなっています。ほかには特攻隊員たちが出発前に地元の方々のもてなしを受ける様子や、女子学生と話す様子などの写真・映像等があります。

三角兵舎といって出撃前はここで過ごしたそうです。当時の実際の映像を見たらこれよりももっと布団の間隔が狭くてびっしり寝るだけ、というかんじだった。


6 指宿の宿〜砂蒸しなど

今夜の宿。

部屋からは海が一望できます。

こんなかんじのところで砂蒸し温泉体験!

今夜もおいしいものをいろいろたべました〜