ブラック企業―裁判所は?

自分の経験中心に考えてしまうと、自分は基本、平日も帰って夕食作って夫と一緒にたべられるみたいな生活だし、自分も職場の上司たちも、家庭やプライベートな用事で、都合つけば全然休んでいるので、裁判所はブラック企業ではないなと思うけれども、友人たちの一部(多く?)をみていると、「働きすぎが当たり前の日本社会」というのはそうだな、と思う。この本を読むと、どうしてそうなってしまっているのか、構造もよく分かる。若者が働きすぎを受け入れている、たしかにそうだけれども、そうせざるをえなくなっている構造が、わかる。「いやならやめればいいじゃないか」という理屈だけでいかない、非常にいきづらい構造。
裁判所がそういうような、その面ではよい環境となってる理由を考えると、

  1. 仕事の評価はとくに仕事時間に比例するとは思われていない(のかわからないけど少なくとも自分はそう思ってないしそう思ってなくてもやっていける雰囲気がある)
  2. (質的には時に考えても考えても重荷なことを迫られるけども)時間にして一人あたりに無理な量の仕事量が与えられてはいない
  3. 競争相手になるような企業がいない

ってところだろうか。3に関しては、省庁なんかもそうかもしれないけど、官僚の友人たちの一部(多く?)をみてると理由にはならなそうかな。1と2は大事かもしれない、2は裁判所にも寄りそうだけれど…。
部分は、大きな組織にしてはよいところだと思うので、広がったらいいと思う。
同僚などの、他の人への個別の発言で「なんて思いやりないんだろう」というのがたまにあっても、かえってその発想がかわいそうだなと思うぐらいで済むのはそういう風土のおかげか。

裁判所の判断についての指摘は、じぶんがした判断ではないけれども、耳が痛い。
最終章の「現在可能な対策」は、そうした構造も踏まえた上での穏当な、しかしできうる限りの対策だと思うし、長期的な提言も、なるほどと思う。