愛と暴力の戦後とその後

大きなエッセイみたいなかんじだった。けっこう直観にもとづいていろいろと結びつける。たとえば「1980年に何か決定的な変動が始まった。」このような直観から考察が出発する。個人的な、主観から出発する近現代史の本だから、いいのかもしれないけど、あるいは、読みやすくするためにそうしているのかもしれないけど、事象の解説の論拠が「知合い一人の話」だったりして、薄いなと思ったこともたびたびあった。
「神を創ってそのもとにまとまり、戦(聖戦)を戦い、そして負けた」ということでオウムと戦前の日本の類似性を指摘し、オウムを語りにくい理由としていた。たしかにそうではあるけれど、これはオウムや戦前の日本だけでなく、ほかにもそういう団体はあるし、その点はちょっと受入れがたかった。
通底して伝えている何か、というより、ちょくちょく、そうともいえるなということもあったというかんじだった。自民党憲法改正案や来る東京オリンピックの招致についての考えは自分に近いものだった。
「何かあったら私が責任をもつから、君らは遊べ」といえるのが大人、というのはその通りだと思った、そうなりたいものだ。