集団的自衛権と安全保障

集団的自衛権と安全保障 (岩波新書)

集団的自衛権と安全保障 (岩波新書)

豊下氏と古関氏がきれいに半分ずつ書いている。
豊下氏は、主に安倍首相の集団的自衛権についての論理を痛烈に批判。明確なのは「海外派兵はいたしません」「日本が戦争に巻き込まれることは決してありません」のおかしさ。「集団的自衛権を行使すると日本が立場を鮮明にすることは抑止力を高める」と言われているけれど、対中国の抑止力を考えると、たとえば、ベトナムに中国が侵攻し、ベトナムが日本に軍事支援を要請してきた場合。これを断れば抑止力は失われる。これを受け入れれば日本と中国は戦争状態に入るしかない。機雷除去に関してもそれが武力行使である以上、された側は反撃するだろうし、そうなったらどうやって戦争状態を避けるというのか。とのこと。
安倍首相が会見でだした事例・石破幹事長などの「日米同盟破棄」をちらつかせ国民の情感に訴える事例は、いずれも政治的・外交的背景を捨象した「軍事オタク」の例だと説得的に解説する。
この本での批判をぶつけられて安倍首相は正面から反論できるのだろうか。できないのではないか、と思わされる。
そのほか、安保法制懇の報告書には、米中関係の分析とイラク戦争の総括が欠落していてこの2つなしに安全保障を検討したといえないとか、「安全保障環境の悪化」とかいうけど歴史問題にかかわる種々の言動や靖国参拝で拍車をかけているのは安倍首相あなたですよとか、北朝鮮のミサイルが防衛の必要あるぐらい危険なものならPAC3の配備さえせずに日本海側の原発なんて再稼働させるなとか。
従来の国会答弁と憲法解釈の乖離については、この本の前に「政府の憲法解釈」を読み原資料にあたることができていたので、自信を持って、この批判に対して反論の余地はないなと思えた。



対して、古関氏のほうは主に、自民党憲法改正草案がおかしい、おかしいという話。この改正草案は私自身もしばらく前に印刷されたものを読んだけれど、たしかに、驚きを禁じ得ない改正草案ではある。ただ、古関氏の批判はやや感情的な印象を受けてしまった。言いすぎだからだと思う。「そうとしか思えない。」というけれどそこまではいえないんじゃないかというような。改正草案中に「開戦規定」がないことから、満州事変的な戦争を行うことを想定しているとまではいえないだろう。「不安」な気持ちはわかるけれども。
この本を手に取った動機は、古関氏の「日本国憲法の誕生」がとても面白くて、そんな古関氏が現代の問題にどのように語るのだろうというものだったのだけれども。
安全保障については「概念」から出発して批判を加えているように見えたけれども、紙幅が限られていたせいか「概念」とのつながりが難しかった。「安全保障とは何か」という同氏の別の著書を読むと理解しやすいのかもしれない。


おりしも、今朝の読売新聞社説欄。「『戦争する国』は曲解だ」との小見出しの下、

…1960年の安保条約の改定時には、「戦争に巻き込まれる」といった情緒的な反対論が噴出し、国論を二分する騒動となった。
だが、ソ連の軍事的脅威が存在した東西冷戦中も、冷戦終結後の流動的な東アジア情勢下でも、日米同盟が有効に機能してきたことは、歴史が証明している。

日米同盟が有効に機能してきたから、戦争に巻き込まれるという情緒的な反対論は誤りだったと言いたいのだろうか。
言うまでもなく、1960年の安保改定の議論と今回の集団的自衛権の議論は、異なる。戦争に巻き込まれるのを防いできたのは、まさに9条と「集団的自衛権違憲」とのその解釈だったのではないだろうか。