みんなの意見は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

850個のジェリービーンズが入った瓶を見せられて、その数を言い当ててもらう実験をすると、グループの人それぞれの推測の平均値が、どの個人の推測よりもほぼ確実に正解に近い。とか、すごく賢い人が一人で判断するよりも、集団の平均の意見のほうが案外正しいこと、多いんですよ、って本。ただ、多様性や分散性が必要。集団の意見がどんどん(後から見れば)間違った方向に行く場合には多様性が足らないことがままある、というようないくつかの歴史的事実も紹介。
これを読んでて考えるのはやっぱり裁判員裁判の判断についてで、第9章の陪審の話が興味深かった。正しい判断をする集団としては一定の規模も必要で、小さい集団は、メンバー同士の与える影響が直接的で避けようがないから、判断は極端から極端へ振れがちで、判断を大きく誤る可能性があるとのこと。これを避けるためには、やはり少数派の意見の存在が重要で、これがあることによって議論が深まると実験データも示しているとのこと。それから、発言者の発言量が多いほど、また最初の発言順ほど、影響が大きいことを示すデータもあるそう。裁判長・裁判官があとから発言するってやり方は、その意味ではよいようだ。
ただ、この本、たしかに「どうして」みんなの意見が案外正しくなるのか、ということは読んでもわからなかった。なぜか知らないけど社会っていうものはそうなるらしいということか。

司法取引導入の動きに関連して

司法取引を法制化へ 法制審、汚職や薬物事件想定
(2014/6/24 日本経済新聞
刑事司法制度全般の見直しを検討している法制審議会(法相の諮問機関)の特別部会の会合が23日開かれ、法務省が他人の犯罪を明かせば処分を軽くする「司法取引」の導入などを盛り込んだ新たな試案を示した。特別部会は今夏をメドに結論を取りまとめる方針で、法制審の答申にも盛り込まれる見通し。
司法取引を巡っては、捜査を撹乱(かくらん)する目的の虚偽の供述などが出やすくなる恐れから、日本弁護士連合会などの反発が根強い。
同省は来年の通常国会刑事訴訟法など関連法の改正案提出を目指すが、答申では、こうした懸念に配慮した表現がとられる可能性もある。
司法取引は捜査当局側が導入を求めている新たな捜査手法。
試案では、容疑者が共犯者の犯罪を供述した場合、検察官が起訴を見送ったり、略式起訴にとどめたりできるほか、求刑を軽くすることを可能にする。汚職や詐欺、金融商品取引法違反といった経済事件や、組織が関与するケースが多い薬物犯罪などを想定。検察側と弁護側の合意が適用の条件になる。
容疑者が捜査機関の知らない自身の犯罪を明らかにした場合にも刑を軽くできるようにする仕組みや、犯罪内容を正直に証言した証人は刑事責任を追及しない新たな免責制度も導入する。
司法取引は海外で広く活用されている捜査手法の一つ。米国やドイツは対象犯罪を限定せず適用し、英国では重大な犯罪に限るといった運用上の違いはあるが、いずれも事件解決に向け重要な供述を引き出すのに使われている。特別部会は今後の議論を通じ、今回の試案を最終案とする合意形成を目指す。


判例時報1583〜1627号にわたる大作「司法取引を考える(1)〜(17・完)」(宇川春彦氏)を読み終わった。司法取引を、純粋型司法取引(被告人の有罪答弁と引き替えに検察官が訴因の縮小、求刑引下げ等の譲歩を行うもの)と、捜査協力型司法取引(捜査協力・証言の見返りに譲歩を行うもの)に分け、司法取引の歴史・アメリカにおける制度内容・それぞれの司法取引について哲学的問題の検討・ありうる批判への反論から、日本への導入可能性についてまで、詳細、ほんとうに詳細に論じられていて、読みごたえがあった。
筆者は検察サイドの方らしく、結論としては司法取引導入に賛成の立場。折しも今、法制審議会での司法取引法制化の動きが報じられているけれども、現在導入が検討されているのは「捜査協力型」のほう。こちらの問題点として指摘の多い冤罪のおそれ・虚偽の誘発については、ざっくり言えば、取引された上での証言だという事実の開示・反対尋問による吟味によって慎重な判断を受けるので証明力の問題として扱うべきであるという反論。そのほか、約束による自白や補強法則との関係も丁寧に検討。
分析の前提としてアメリカの刑事司法制度についても、私のような全くの初心者にも、無令状逮捕があたりまえとか量刑が厳しいとか基本的かもしれないことからよくわかった。すごく、もっといろんなことが書かれていて、とくに哲学的問題の検討など面白かったのだけど、単に全17回を要約するだけになってしまいそうなので省略。これをもとにアウトプットもできたらいいのだけど、とりあえずはインプットの消化。。

集団的自衛権について

昨日は衆議院予算委員会の中継・集団的自衛権についての集中審議を午前中・午後後半ずっとみていた。デキレースのような自民党議員との質疑応答で首相の理屈を聞くことができた。会見は見られなかったから、テンポの速くない質疑応答は首相の考えを知るのにちょうどよかった。

承前

前提として、集団的自衛権の定義は
「ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある国が、その武力攻撃を自国の平和と安全を脅かすものとみなして、被攻撃国を援助して共同して防衛にあたる権利」(法律学小辞典)。


安保法制懇が集団的自衛権を認めようという理屈は、要約すると

  1. 「これまで個別的自衛権のみOK,集団的自衛権はNGとされてきた根拠は特にない。言い換えれば必要最小限度=個別的自衛権、ということに特別な根拠はない」
  2. 「『必要最小限度』が許される根拠は憲法前文と同13条」
  3. →「であれば憲法前文と同13条から導き出される範囲の集団的自衛権も許されていいはず」


安保法制懇の示す集団的自衛権発動の要件は以下の抜粋の通り。

我が国と密接な関係のある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献することができることとすべき。
●そのような場合に該当するかについては、
① 我が国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか
日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか
③ 国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか
④ 国民の生命や権利が著しく害されるか
⑤ その他我が国へ深刻な影響が及び得るか といった諸点を政府が総合的に勘案しつつ、責任を持って判断すべき(地理的限定は不適切)。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/gaiyou.pdf

これを踏まえてされた5/15の首相の会見で出された事例が以下の2つ(会見の抜粋)。

…今や海外に住む日本人は150万人、さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも日本自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を日本の自衛隊は守ることができない、これが憲法の現在の解釈です。
 昨年11月、カンボジアの平和のため活動中に命を落とした中田厚仁さん、そして高田晴行警視の慰霊碑に手を合わせました。あの悲しい出来事から20年余りがたち、現在、アジアで、アフリカで、たくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動をしています。この若者のように医療活動に従事をしている人たちもいますし、近くで協力してPKO活動をしている国連のPKO要員もいると思います。しかし、彼らが突然武装集団に襲われたとしても、この地域やこの国において活動している日本の自衛隊は彼らを救うことができません。一緒に平和構築のために汗を流している、自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から救助してもらいたいと連絡を受けても、日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかないのです。これが現実なのです。…
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0515kaiken.html

予算委員会での集中審議

民主党岡田克也氏「邦人を乗せた米国以外の第三国の艦船は守らなくていいのか。」
首相「米国が船を手配し、船籍が他国ということも当然ありうる。・・・米国以外の船はダメだと言っていない」


首相と岡田さんのやり取り全体から、私の理解としては、岡田さんは「米国のような日本と密接な同盟関係を有する国、ではない国」が攻撃を受けた場合に、邦人を乗せた艦船を守らなくていいのか、という質問だと思うのだけど、首相はあくまで「米国が攻撃を受けた場合」に限って応答している。仮にそうでないとしても、「米国以外の船はダメだと言っていない」という発言からは、「我が国と密接な関係のある外国」=同盟国であるアメリカ、だけでなく、同盟国でない国の船にも行使対象が広がる可能性があり、集団的自衛権行使の要件は、包括的にならざるを得ない。

首相が先般挙げた例はいずれも「日本人個人」が危機にさらされているときに助けられなくていいんだろうかという話だけれども、「海外(というか同盟国=アメリカ)にいる日本人が乗った船を助けるため」/「アジア・アフリカでボランティアとかしてる若者が突然武力集団から攻撃を受けたときに助けるため」(特にこの2つ目はどういう理屈で上記要件のもと集団的自衛権の行使が可能ということになるのかよくわからない)という限定的な場面のために集団的自衛権行使容認という強力すぎる解釈変更を持ち出す必要があるんだろうか。
岡田氏が言っていたように、船舶にかかわらず日本人がのっている船なら助けるという法構成ができないものか。首相も会見でいうとおり、日本人は世界中にたくさんいるわけで、「我が国と密接な関係のある外国」以外の日本人もたくさんいる。
集団的自衛権の行使はアメリカ関係に限られないからそもそも岡田発言はおかしい」という意見もあるようだけれども、安保法制懇の示す要件からも昨日今日の委員会でのやり取りからもほとんどアメリカが議論の念頭に置かれており現段階これ以外の国を特に想定しがたいことは明白。

閣議決定で解釈変更をすることについて

憲法9条が「絶対に集団的自衛権はどう読んだって認められない」というような文言でなく、多義的である以上、閣議決定で解釈変更をするのが違法だとはいえない。そして日本の現行制度では、違憲立法審査権を有する最高裁に持ち込むためには個別的な法律問題に帰着させないとこの政府の解釈の正当性を争うことはできない。どういう立て方をすれば間違いなく最高裁で争えるか、ちょっと今のところわからない。
「今回の解釈変更は立憲主義そのものを揺るがす大問題だ」という指摘も一理あるけれど、そういう憲法解釈に対して司法権が歯止めをかける仕組みがきちんとない、ということがより大きな問題として露呈したというような感じもする。


今日の午前中の参議院での委員会の中継も見ていたけれども、首相は「機雷の除去=武力行使にあたる」「機雷の除去を行うことは集団的自衛権行使の一対応である」と言いつつ「他国で武力行使をするということもあるということか」という質問に正面からYESと言わず回りくどい応答をしていたのも印象的だった。ニュースの映像などでそこだけ切り取られた場合のインパクトを避けるためか。

政治史学の領分の広さ

御厨貴センセイの最終講義をまとめた本。最終講義といっても全6回行われ、しかも客員教授である間は、このあとも単位のある講義としてまたやることになったらしい(笑)。6回構成。
第1回はオーラルヒストリー。オーラルヒストリーのことをよくしらなかったけど、聞き書きした回顧録などの形で作っていく歴史資料というような分野のよう。長年オーラルヒストリーをやってきた先生だけあって、いろんな政治家や官僚の話を聞いたときの裏話が面白い、宮沢喜一とか。小泉純一郎も。後藤田正晴と矢口浩一の2人のオーラルヒストリーを対比させて宮内庁・警察・裁判所の人事の関係なんかも分析したらしい、ちょっと気になる。
第4回の「建築と政治」では、先生が歴代首相官邸を訪ね歩いて考えたりした建築と権力の関係の研究の話で、それ自体とても面白いんだけど、最高裁判所の建物と権力の分析についての話も出てきて、これがひじょうに「なるほど」。裁判所側もがんばって「裁判とは」って説明したようなのだけど、建築家に具体的なイメージをもってもらえる説明ができず、裁判官・調査官・事務総局の面々の動線がよくわからないまま、旧最高裁と異なり完全に部署ごとに塊を分ける建物になり、権力側が想定していた以上に権力的で孤独な建物になってしまった。たしかにやたら歩かせる変な動線だな…とは自分や最高裁勤務経験者の話を聞いていても思うところ。建築によって権力がドーンと規定されてしまった例、という話。
そのほか、公共政策、書評やメディアの話に本分の政治学史の話題など。

どうも自分は、最近ようやく今行われてる政治が少し面白くなってきたぐらいで、それを超えて政治史まで深く興味を持つに至っておらず、大学1年生の時なんていっそうそうだったので、「先生と政治史を深く学ばせてもらいたい」とならなくて、それは悔やまれるような、でも多分もう一回大学1年に戻ってもやっぱりそうだっただろうなというようなだけど*1、この本で、本当に、先生の関心領域の広さ・好奇心旺盛さとそれぞれの掘り下げの深さを知ることができて、すごく面白かった。「政治史学からこんなところに行けちゃうんだ!」というような。
実際、研究の傍らというか、先生が実際に携わった国の政策も幅広く、この本で話題に上ったものとして、勲章制度、靖国問題、震災復興構想会議と。こういうのに呼ばれるもそれぞれの分野で「ブルドーザーでガーッと耕す」みたいなやり方でそれぞれ成果をあげてるからだろう。
「一つの分野をコツ、コツ」という研究者イメージをいい意味でぶっ壊しちゃう先生の学者生活の話、読む前は「どうかな」なんて思ってたけど、たしかに「知のエンターテインメント」という言葉が合う本でした。

*1:回りくどいけど要するに先生のゼミを高校の塾の先生からも紹介してもらってたのに、ほかにやりたいことがたくさんあったのと先端研までの距離と初回に読んだEHカーの「歴史とは何か」にそこまで入り込めなかったために結局ゼミを取らなかったという個人的な話

帰ってきたヒトラー 下

帰ってきたヒトラー 下

帰ってきたヒトラー 下

読み終えて、「えっ、この先も気になる!」と。
下巻は、上巻の、「60年後にヒトラー本人がよみがえって現代を観察する・ヒトラーそっくりさんとして本人は大真面目なんだけどまわりには大ウケという面白おかしい側面が中心なのではなく、(上巻でももちろんあったけれども)さらにナイーブというか、ヒトラーの行った負の所業に、よりスポットをあてた風刺というかんじに思った。ヒトラー礼賛は法律で禁止されているらしいというドイツで、ヒトラーが往来の思想のままで堂々と持論を語る。読みながらけっこうひやっとするんだけど、とにかく周りは、強烈なブラックジョーク「以外であるはずがない」と思い込んでるから、じつは大きくズレながらも会話が成り立ち(当然の前提として、番組前にテレビ局の人が念のため「ユダヤ人は冗談の種にはならない」と忠告するのに対してヒトラーが「この人はわかっている」と感じ「勿論」と応じるのに代表されるような)、いろいろと成功をおさめていく・・。
最後では政界進出?も匂わせるのだけど、彼が現代で、芸人としてであれ知名度・影響力を得た上で、その演説力やカリスマ性なんかをもってしたら、万が一にもまた説き伏せられてしまうんじゃないかというような不安をも感じさせてしまうブラックユーモアでした。
フツーに考えたらありえない思想が支持されて推し進められたっていうのはなんでだったの?っていう検証は、やっぱりなくてはならないようです。
というのも感想を考えながら思ったけれども、とにかくこの本について言えることは、上下巻おもしろーい!ってフィクションだってこと!!

テルマエロマエ

テルマエ・ロマエ 通常盤 [DVD]

テルマエ・ロマエ 通常盤 [DVD]

阿部寛古代ローマ人で違和感あるかな?と思ったけどなんか慣れてきた。
とくに前半がおもしろかった。阿部寛演じる古代ローマの浴場設計技師が新しい集団浴場の設計に悩んでると現代日本の銭湯とか家の風呂とかにタイムスリップしちゃって、その技術に驚いて、ローマに帰ってから技法を取り入れ技師の名声を得ていったり…という話。
上戸彩がローマに来てからの展開はちょっと強引?演技の好みの関係?
ローマのお風呂文化のことよく知らなかった。阿部寛演じる技師は架空の人物らしいけどみんなでお風呂入ってたりしてたみたい。そういえば世界史で公衆浴場の遺跡とか覚えたな。ハドリアヌスとか歴史の話の出てくる程度もほどほど。
全体的に楽しめた。

言の葉の庭(ネタバレ)

劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD

劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD

妹が借りてきた。
とにかく雨が降る。雨の日に靴職人めざしてる男子高校生が、昼からビール飲んでる女の人と新宿御苑の休憩所で会って話す。そのうち梅雨があけて夏になって雨が降らなくなってあんまり会えなくなる。じつはその女の人は男子高校生の高校の古文の教師で、生徒のいじめで学校に通えなくなりやめることになったことが発覚。男子高校生は淡い恋を抱いてたんだけどなんかの拍子で「教師なのに隠してばかにしてたんだろ!」とか怒ってとびだすんだけど女の人も追いかけてきて「私も救われてたの!」って言って抱きつく。
女の人のほうは結局実家の四国に戻ることに。でもべつに付き合うとかそういうことにならなかったらしい。
なんかそういうつかず離れず感がたぶんツボというかんじもあるんだろうけど「もっと言いたいこと言えばいいのに」なんて感想をもってしまった。
たぶんあれだけ雨の映像をきれいにだすのはたいへんなんだろうとおもう。